カテゴリー: 逍雲夜話

  • ラマダンはタマラン!

    今月末もまたまたジャカルタへ行きます。アジアのいろんな国へ行ってみましたが、はじめて腰を落ち着けて仕事をしてみようと思ってます。そこで、何かひとつくらいインドネシアを肌で感じてみなくちゃ… インドネシアはイスラームの国、イスラームかあ、お祈りは作法があって時間もかかるしなあ。そうだ、ラマダンだあ! ダイエットにもなるし、おなかの中もきれいになりそうだし…なあんて軽い気持ち。フレディ・マーキュリーもイスラームだし… わけのわからない理由もくっついたりして…

     

    断食です。ラマダンの月に入ると、インドネシアのイスラームの人々は、陽が昇ってから沈むまで、食べ物だけでなく飲み物も口にしない日々がひと月続きます。これは、いわゆる先進国のコンビーニエントな生活に慣らされて堕落した身には無理。よし、火曜日だけやってみよう!なぜ火曜日なのかはわかりませんが… アッラーの神のお告げですかね。

     

    インドネシアという国は、中国、インド、アメリカ合衆国に次いで、現在世界第4番目の人口(約2億5000万人)を擁する国で、そのほとんどがイスラームの人々なので、世界最大のイスラーム国ということになります。が、とってもゆる~いイスラームなのです。イスラームの教えはいろいろありますが、それぞれの人が、「これは守ろう、これはいいや」というふうに、いわゆる戒律が必ずしも厳格に守られているわけではないようです。僕はイスラームに入信するわけではない、インドネシアを知りたいだけだ、と生来のいい加減さがインドネシアのゆるさに後押しされて、火曜日だけやってみることになったというわけです。なが~い言い訳になりましたが…

     

    そして、姑息にも誰にも言わずに(「あれっ、ラマダンなんじゃないの」なんて言われようものなら、それが理由で、せっかくの実験が中断されるじゃないですか)、1ヶ月前の火曜日から始めた、はずだったのですが、やっぱ無理。まず、飲まないというのが不可能。これはあっさり放棄。飲まないのは、もうちょっと慣れてからにしよ。それでまず、食べないということに集中してやってみた。が、結局これもダメ。何がダメかって、忘れるんです。ついつい、無意識に食べてるんです。忘れたというのではなく、無意識にという感覚です。それだけ身の回りに、食べ物が氾濫しているということでしょうか…あるいは、僕の生活習慣(そうあの「間食」というやつです!)がそうとう堕落しているということでしょうか。

     

    というわけで、前途多難の様相を呈しながら、というよりほとんど沈没しながら船出したわけですが、とりあえず、火曜日はほとんど食べないのです。一日くらい何てことないや、と始めたわけですが、これがたいへんなのです。腹が減って一日が長いこともさることながら、生活のリズムが狂って、文字通りリズムが狂って、いろんなことがうまくいきません。あ~あ、たまらん!これも、「もののあはれ」でしょうか…

     

    教訓。ほかの国のことを理解することは、とっても難しい。そうたいしたことに見えない違いも、実際には大きな違いです。頭で考えたことはあてにならない。身を以てやってみないとわからない。こういう大変な目に合ってようやく、人間は考え始めます。何でラマダンなんだ? う~ん、きっとほかの生命に対する感謝なんだろう、生命だけじゃないな、水もだもんな、そうか、我々人間に対して一方的に恩恵を提供してくれている、この地球に対する感謝、報恩を忘れるな、ということかな… ほんとにそういうことかどうかは、わかりませんが、いろんなことを考えます。おっ、そうすると、イスラームは儒教より道教やら神道に近いかな。なんて、とめどなく感懐が広がります。

     

    でもやっぱり日本がいいや。食事の前には必ず「いただきます」と言って、作ってくれた人と、生命をいただくお米とお肉やお魚や野菜たちに感謝してるし… だけど、週一の断食は、しばらく続けてみよう。

  • 会社の経営(2)

    前回のつづきです。

     

    そんなこんなで、早10数年が経過して、今に至っているわけですが、「同族経営の中小企業」の「経営者」は、これぐらいは知っておかなきゃいけないんじゃないかな、と思っているのが以下のような項目です。これは、後継者が勉強しなければならないメニューだと考えて下さっても結構です。このメニューに沿って、毎日毎日素振りをして、経営のフォームを身につけることが大事だと思っています。頭で覚えるのではなく、「身に覚えがある」という状態にするのが大事です。「稽古千日、勝負一瞬!」です。もちろん、フォームは人それぞれ違います。イチローとゴジラのフォームが違うように…

     

     

     

    A 経営設計

     

    Ⅰ.経営のフォーム

    1 社長の仕事とは

    2 事業計画の必要性

    ・グランド・デザイン(10年後、20年後の自社)の策定

     

    Ⅱ.経営理念(社長の頭の中)

    ・事業を通して何がしたいのか

    ・身に覚えのある理念を感じ取ること

    ・続けること→儲けること

     

    Ⅲ.経営戦略

    1.事業の体質(内部)

    受注事業⇔見込み事業

    2.事業をとりまく環境(外部)

    経営環境

    3.経済の読み方

     

    Ⅳ.経営戦術

    ①営業力 ②技術力 ③企画力 ④組織力 ⑤財務力

     

    Ⅴ.経営目標

    自社のこだわるべき数字

     

    B 危機の回避・排除

     

    Ⅰ.内部リスク

    1.組織運営リスク

    ①会社組織 定款 総会運営

    ②人事   賃金 解雇 就業規則

     

    2.財務リスク

    ①財務諸表その他の見方 兆候

    ②金融信用 金融機関とのつきあい方

    ③債権回収

    ④資金調達

    ⑤タックスプランニング

     

    Ⅱ.外部リスク(≒取引リスク)

    1.国内取引

    ・契約

    ・損保

    2.海外取引

    ・カントリーリスク

     

    Ⅲ.事業承継リスク

    ・相続法

    ・相続税法 退職金 生命保険

    ・会社法

    ・本質

    ・M&A

     

    C リーダー論

    リーダーに必要な資質がなければ、上等の経営資源(ヒト・モノ・カネ・ジョウホウ)を手にしていても、それはガラクタと同じです。勇気や知恵といった資質を持っていなければなりません。

    ・人に会って話を聞くこと

    ・経営者の著作を読むこと

    ・古典に親しむこと

     

    After  All

    私の経験から、同族経営の中小企業の経営者の皆さんの関心は、

    「どうやって自分の子供に継がせるか」

    ということにあるように見えます。いろいろ言われますが、やっぱり、いかに儲けるかということよりも、いかに続けるか、ということに結局は関心がおありのように思います。そして、その限りにおいては、正解だと思います。しかし、先代さんは、子供可愛さのあまり、その先を誤られる場合が多いような気がします。先代さんは、自分の子供が苦労しないよう、自分でたくさん資産を作って、できるだけたくさんの資産を子供に継がせようとされます。わが日本国はここを見逃しません。相続税です。近々さらに強化されることは間違いないようです。

     

    そこで、僕は思うのですが、後継者の資質や手腕にお金をかけるべきだと…資産はなくとも儲ける手腕があれば、後継者は自分で儲けて資産を作ります。逆に手腕がなければ、いかに多くの資産を承継しても、先で会社は潰れ、従業員が困ることになります。今後は国内の競争もさらに激化しようし、さらに国際競争時代においては、海外の若い経営者との戦いも始まります。経営者の手腕は一層重要な経営資源となります。何よりも、資質や手腕に税金をかけることはできません。資産を残すよりも、後継者教育に大きなお金をかける事業承継、これ、究極の相続対策と言わずして、何と言う?

  • 会社の経営

    経営と一言に言っても、いろんな会社の経営があります。そして、経営者と言えば、もっといろんな経営者がおられます。僕は、「同族経営の中小零細企業の経営者」をサポートするのが自分の仕事だと思っております。上場企業やそれに準ずる大規模の会社は私の守備範囲ではありません。したがって、会社法や税法などの法律にしても、賃金体系や組織体系などの人事にしても、その他諸々のことにしても、同族経営の中小零細企業に関することは、全てをサポートしたいと思っていますが、大きな会社のことは、思い切っていいますと、さっぱりわかりません。

     

    僕は、約20年前に、公認会計士のおじがやっていた会計事務所に弁護士として入って、そこで初めて「経営」というものに直面することになりました。おじは、会計や税務申告はもちろん、経営相談にも応じていろんなサポートをしておりましたが、そのおじは平成7年に、つまり今から17年前に急逝しました。その瞬間に、僕は正直困ったわけです。多くの顧問会社を引き継いだわけですが、法律の勉強ばかりやってきたわけですから、会社の「経営」を知らなかったのです。さて、何をしなければならないのか、それすらわかりませんでした。

     

    その時から、僕の悪戦苦闘は始まりました。自分も小さいながら事業の経営者として、そして、顧問先の経営の相談を受ける身として、「けいえい」を勉強せねばなりません。いろんなとこへ行き、いろんな人に会って、勉強を始めましたが、僕が相談を受ける企業は同族経営の中小零細企業がほとんどです。しかし、この「同族経営の中小企業」が、この国では、ほったらかしになっていることに、その時初めて知ったのです。本を読んでも、研修を受けても、それは大企業向けのものばかりで、「中小企業」向けのものはほとんどなかったし、さらに、「同族経営」の中小企業向けのものは皆無に近いものでした。

     

    そこで、僕は、自分の顧問先会社の経営者の二世つまり後継者となるべき人たち(僕とほぼ同世代で、ほとんど後継直前の人たち)数人に声をかけ、「夜話塾」なる勉強会を立ち上げました。一緒に経営を勉強する趣旨で始めたのですが、僕は「先生」と呼ばれる立場です。やっぱり、自分がリードしなきゃかっこ悪いわけです。「何とかならんもんか!」と苦悩する僕を見透かしたように、去年他界した僕の少し年下の盟友が、「先生、こんな人がおられますよ」と紹介してくれたのが、日本経営合理化協会の牟田学先生でした。そして、牟田先生のご講義を4年間にわたって聴講させていただきました。今でも、年に一度は牟田先生のご講義を拝聴して、元気と知恵をいただいております。

     

    牟田先生の教えは、すっと僕の腹の腑に落ちて、「これだ!」と思いましたが、少しだけ身の丈が合わないと感じたのです。僕がお相手させてもらってる顧問先の会社よりも少し大きな会社が対象なのです。そこで、僕の仕事は、自分が関与する会社に対して、牟田先生の教えを翻訳して伝えることだと思い、以来、夜話塾を通して、若い経営者や後継者の皆さんに、牟田先生の教えと、それから少しばかり成長した僕の経営に対する考えを、お伝えしております。

     

  • Freddie Mercury

    バンドをやっていると、自分がどのミュージシャンが本当に好きかということが、だんだんわかってきます。つまり、私はボーカルなので歌を歌う訳ですが、下手なりにうまく歌える曲とそうでない曲があります。練習のときはうまくいっても、ライブ当日は違います。当日うまく歌える曲は、本当に好きな人の歌であるような気がします。好きな曲じゃなくて、好きな人の曲です。他のメンバーのオーダーでやる曲で、そのミュージシャンのことをよく知らない場合は、「ああいい曲だな」と思いながら、練習のときに気持ち良く歌えても、本番はダメですね。ひっかかりがなく、ツルっと終わっちゃったなという感覚ですかね。ライブで歌うというのは、結構大変なことで、たとえて言えば、どんなに泥酔してても口をついて歌詞が出てくるようでないとダメで、つまり、頭が覚えてるのではなく、口が覚えてないとダメなんです。プロのシンガーがコンサートをするのは、とってもすごいことなんです。

     

    僕の場合、QUEENの曲はうまくいきます。たとえ、乱れてもそれなりにうまくいきます。即座に自分でいいようにアレンジしてるんでしょうね。逆に、BOSTONの曲はうまくいきません。上手にできることはあっても、うまくいったなと思えないのです。誰かが文章を書いたり、音楽を作ったりするというのは、何かを伝えたいと思うからだと思うのです。それを僕が受け取って、その小説や歌が好きになるのです。つまり、少し大げさに言うと、作った人の精神、つまり思いを受け取るとでも言うのでしょうか。この精神の交換を、「思い入れ」といったりするんですかね。

     

    QUEENのボーカルは、Freddie Mercury(フレディー・マーキュリー)といいますが、彼は1991年11月、45歳の若さでエイズで死にました。1946年9月、ペルシャ系インド人の両親から、当時イギリス領であったアフリカのタンザニア・ザンジバル島で生まれ、インドに渡り、そして最後はイギリスに落ち着いて、QUEENに参加します。ロックのイメージが壊れるのを恐れて、自身がインド出身であることを隠したがったようです。1970年ころにQUEENに参加するまでの少年期から青年期は、流浪(ボヘミアン)の人生のためか、つらい思いをたくさんしたようです。また、生来の多彩な才能をもち、大学はアートカレッジに通い、その後QUEENのアルバムジャケットを自分でデザインしたりしています。

     

    好き好きはありますが、その優れた歌唱力と独特のマイクパフォーマンスで「世界最高のボーカリスト」の一人とされるFreddieですが、僕は、彼の悲しみにとりつかれてしまいました。20世紀最高のロックともいわれる「Bohemian Rhapsody」もさることながら、「Somebody To Love」という曲が最高です。きっと彼は、誰も知らないところで誰かに唾を吐きかけられたり、罵倒されたりしてきたのだろうと思います。そういう人生の悲しみを知った人にしか、あの歌詞は書けないんじゃないかと思います。

     

    オカマの晩年は寂しいといいますが、彼は、ずっと寂しかったんだろうなと思います。ボヘミアンな生活をしていたからということもあるかもしれませんが、やっぱり生まれながらの天才だったのだろうと思います。当たり前のことですが、天才は天才にしか理解できません。天才の生んだ作品をほめたたえることはできても、天才その人を理解してほめたたえることは難しいことです。あなたの周りにも、誰にも理解されずに、ただ「変わり者」の烙印を押されてる人がいたら、その人、天才かもしれませんよ。

     

  • もののあはれ

    あれはたしか今から6年前の2006年、HELPが年に一度のライブを始めてから2回目のライブだったと思います。ライブの前日に僕の親父が亡くなりました。その前約1年間入院の上病気と闘っていたのですが、よりにもよってライブの前日に亡くなりました。親父は、この5年前くらいに脳梗塞で倒れたのですが、そのことを苦に母親は、今でいう認知症(その頃はまだ痴呆と言っていたと思います)を患っておりました。「お父さんが倒れたのは、私のせい」と根拠のない悩みで痴呆になったのだと、僕は思います。

     

    どういうメカニズムで痴呆になるのか、科学的な理屈は知りませんが、母親を見ててこう思いました。人は、子供が自立したりして、家族の中で自分の役割がなくなったり、何かを自分のせいだと責めるような状況になると、生きていくことが辛くなって、自ら自分の精神を閉じていくのではないかと。痴呆とは、自分を「いらん子」だと思うことから起こるんじゃないかと。だから、人は社会の中で、自分の役割が必要なんじゃないでしょうか。資本主義の世の中は、モノを生産してお金を稼ぐことから離れた人を、役に立たない人にしてしまいがちです。年老いた親に、もっともっといろんな面で頼っていくことも、時に大切なことなんでしょうね。つまり、先代さんの仕事は、全部取り上げちゃいけません!

     

    親父は、死ぬ前にこう言って死にました。「お母さんが、あんな調子じゃけえ、俺が死んでもお母さんに言うな。葬式もお前の家族だけでやって、人に知らせるな。人が知ったら、お母さんに悔みを言うから、お母さんどうなるかわからんから。」と。母は、施設で暮らしており、毎日自分の存在がなくなっていくことと戦っていました。僕は幸い一人っ子で、兄弟に相談する必要もなく、親父のいうとおり、親戚にも知らせずに、葬儀をしました。親父の気持ちのままに、親父を葬ることができたと思っています。

     

    さて、そこで問題は、ライブをどうするかということです。お寺さんに相談すると、「お父さんとあなたの意思に従いなさい」と言っていただきました。結局、ライブは決行することに決めました。中止すると、親父が亡くなったことが知れてしまって、親父の言うように、母親を自傷の危険にさらしてしまうかもしれないと思ったからです。さすがに悩みましたが、明日に迫ったライブです。じっくり考えている暇はありません。当日の昼までに、葬儀を済ませて、夕方からのライブはそのまま決行することにしました。しかし、当日の午後のリハーサルにはさすがに間に合いません。同級生メンバーにはやっぱり言わざるを得ません。事情を説明すると、「そりゃさすがにやめたほうがいいんじゃないの」とも言ってくれましたが、僕は、自分と親父の勝手を通しました。

     

    今も忘れられません。「よし、わかった。何があっても、俺らが何とかする!」と言ってくれたことが… そして、彼らは、ライブ当日の葬儀に出てくれました。葬儀後、彼らはリハーサルへ、僕は親父を見送りに行きました。この日のライブは、とても苦しかったけれども、なぜか心地がよかったことを覚えています。親父のお袋に対する愛情と同級生の思いやりとをじっくりと味わうことができたからだと思います。「もののあはれ」とはこういうことをいうのでしょうか。

  • インドネシア

    去年の11月に続き、インドネシアに行ってきました。去年のインドネシアはマレーシア視察が主で、インドネシアには一泊限りの滞在だったので、実のところ、インドネシアがどんなところなのか、あまりよくわからなかったのですが、今回行ってみて、こりゃ大変だとあらためて思いました。何せ、世界第4位の人口を要する国で、資源も豊富であり、つまりそのマーケットは、中国・インド・USAに次いで大きいのです。前回も思ったことですが、とにかく人々が元気です。10年前初めての海外渡航で上海に行ったときにも感じたことですが、とにかく人が生きています。

     

    10年前… それまで飛行機に乗るのが怖くて(約0.1tの自分が飛べないのに、それよりも確実に思いジェット機がなぜ空を飛ぶのか、いまだに理解できません)、海外に行ったことがなかった僕が、「なぜか上海」というパッションにとりつかれて、とりあえず上海に行ってみたのですが、その時の「アジアショック」(「自分は今まで何をしてたんだろう」と反省に似た気持ちになりました)は、

    ① 人の生命の値段が安い

    ② 整ったところにはエネルギーはない

    という2つのことでした。このことについては、また別の機会にお話しします。

     

    その後も、年に数回は、上海に行ってその元気をもらって帰っているのですが、インドネシアの元気は上海の元気とは少し違うようです。インドネシアの元気は、上海のそれより怖い気がします。初めて上海に行った時のショックも大きかったけど、インドネシアのショックはもっともっと大きなショックです。インドネシア滞在中、それが何なのか、ずっと気になっていたのですが、そして、帰国後もずっと思い返してみるのですが、今ようやく思い当りました。インドネシアの元気は青年の不安定な元気で、上海の元気は壮年の成熟した元気です。両国ともに、いろんな面で、まだまだ整っているとはいえませんが、その程度に明らかな差があるようです。共産党一党独裁と共和制という政治体制の差かもしれませんし、宗教や哲学など人々の生活のよりどころの差かもしれません。いずれにしても、インドネシアの元気は、青年期特有のとがった元気で、いわば「坂の上の雲」のごとく、無限の可能性を信じさせるような大志を感じます。爆発しそうな危うい元気です。それだけに、その危うさの中に大きな大きなエネルギーを感じます。

     

    たとえば、ウォーターベッドに体をあずけたときのごとく、この危うさが怖さと感じられる半面、ある種の心地よさがあるのは、きっと、インドネシアが基本的に日本と仲良くしようとしている国だからと思います。先の戦争における日本の姿勢がどうであったか、いろいろ議論があることは承知の上で、やはり、インドネシアの自立・独立に際して、日本という国が重要な役割を果たしたということだと思います。あらためて、日本の国に誇りを感じております。この点が、上海と決定的に違う点だと思っています。これからしばらく、インドネシア通いが続くと思います。その間、僕のこの思いがどう変わるのか、あるいは、変わらないのか、そして、これから、日本とインドネシアの国民がどう付き合っていくことになるのか、とっても楽しみです。

  • インドネシア追記

    毎月インドネシアへ行ってますが、今回は初めてジャカルタを離れて、ブカシ県のチカランへ行ってきました。ジャカルタから30~40㎞のところにあります。ジャカルタは、他のアジアの都市に比べて、インフラの整備がとにかく遅れているので、この距離でも、場合によっては移動に2時間以上かかります。ジャカルタ市内の交通混雑の具合は、推して知るべしです。この交通渋滞を少しでも解消できれば、経済効率はぐんと上がるだろうなということが、肌で実感できます。

     

    このチカランには、今後一緒に仕事をしようと思っている方が、日本企業に送り込む人材の育成をしている会社があります。この方の奥さんは、日本人の方です。チカランに行く前に拝見した彼の会社のホームページには、彼の会社の立地について、「戦略的な立地」と書いてありました。「インドネシア流の誇大広告かな?」とか、「うーん、やっぱりジャカルタじゃないの?」と思いながら、そして、どんな田舎かと思いながら、行ってみてびっくり… まさに、「戦略的な立地」でした。ちょっとでも疑念を抱いた僕は、彼と彼の奥さんに謝らなければなりません。

     

    確かに、ジャカルタよりは、はるかに田舎ですが、とってもおしゃれな洗練された町でした。それはきっと、新興の町で外国人が多いからだと思います。外国企業が、特に日系企業が、この地に続々と工場をつくりつつあります。そして、それに伴って、地元の中小企業の経営者も富みつつあるのです。下の写真を見てください。これは、チカランの住宅団地の一角です。こんな町内があちこちに無数にあります。

    下の写真は、住宅団地に入る入口ですが、門衛が3人くらいいて、我々が入るには、運転手の身分証明書を預けることが必要でした。

     

    工業団地の方はというと、広大な土地が工場や倉庫の建設のために造成されつつあります。まだ道路もついてない土地にぽつんと工場や倉庫が建設されつつあります。「公文」の物流倉庫も見えました。こんな広大な工業団地が、チカラン周辺には7~8ありました。これから、とてつもない勢いで、この工業団地が埋まっていくのだろうと思われます。

     

    世界は広いという当たり前なことにも驚いてしまう日本人の僕は、やっぱり平和ボケしてしまっていたのでしょうね。ショーック!

     

  • ひまわり

    「ひまわり」は、私が8月生まれということもあるのか、子供のころから好きな花なんですが、弁護士を象徴する花でもあるんです。弁護士バッチにもデザインされています。今日は、その弁護士について、ちょっと書いてみようと思います。

     

    「弁護士」って、一般的には敷居が高い存在だと思われていると、弁護士側からも感じています。私の敬愛する先輩(もう60をかなり超えておられますが・・・)は、「士」の字の下を延ばして「土」にして、「べんごっち」(弁護土=べんごつち)と称している可愛いおじいちゃんもいます。それはともかく、敷居が高いのは、これまでの弁護士の態度にもよるのでしょうが、やっぱり、弁護士というのは、普通に暮らしていれば会わなくていい存在ですからね。我々に合わなくちゃならないときは、何らか不幸な事態ですよね。そんなこと、初めて会う人に簡単に話せるものじゃないですよね。そういう意味では、重い病気かもしれないと思っている人と医者との関係に似ているかもしれませんね。不安を打ち明けることは大変なことですもんね。

     

    私は、その弁護士の業界の中で仕事をしているのですが、全くと言っていいくらい法廷には立ちませんし、弁護士活動らしきことはしていません。ずっと、中小企業の経営者の皆さんに寄り添ってきただけです。経営者の方の役に立つことが何もできないこともあります。でも、ただそばにいて、一緒に考えることはできると、ずっと思ってきました。そんな役立たずを、自分よりもはるかに経験豊かな経営者の皆さんが頼りにして下さったのは、やはり私が弁護士であったからだと思います。しかし、私は、この軒下を借りたような状態から脱しなければならないと、最近強く思っております。

     

    そう思いながら、仕事をしているところに、今回山口県弁護士会が講演会を主催することになりました。中小企業に対するサポートを弁護士会は強化するべきだとの時代の流れでしょうか。弱小弁護士会の山口県弁護士会にしては、破格の費用をかけて、あの牟田学先生(日本経営合理化協会理事長)をお呼びして記念講演をすることになりました。牟田先生は、中小企業の「社長」に対するコンサルタントであり、私はこのようなコンサルタントは他にはおられないと思っています。地方の経営者は、あまり、このような人に接することはないと思いますが、この機会に是非牟田先生のお話を聞いていただきたいと思っております。絶対に目からウロコが落ちるような話が聞けると思います。

     

    また、現在の山口県弁護士会長は山口市の中山修身弁護士ですが、この人もかなりの変人の部類に入ると私は思っておりまして、今回の企画は、その中山弁護士ならではの仕業だと、私は快哉を叫んでおります。これまでは、弁護士と中小企業との距離は遠かったのですが、そのことを弁護士自らが反省しての企画です。中小企業の存在は、日本の経済は言うに及ばず、これからの日本の存続の根幹にかかわるものと、思っております。

     

    皆さん、是非この講演をお聞きください。宜しくお願いします。

     

    ところで、ひまわりは、戸外で大輪の花が元気よく咲いているのがいいですね。しかもたくさんのひまわりが・・・

  • アジアの時代

    今アジアの時代と言われています。アジアというと、我々日本人は、すぐに東アジアとか極東(Far East)とかを連想します。つまり、中国大陸と朝鮮半島がいつもついてきます。しかし、僕の感覚では、我々日本人は、東南アジアのほうが感覚が近いのですが、いかがなものでしょう。中国にはもう10年以上通っていますが、友達と呼べる人はただの一人しかいません。好みの問題もあるでしょうが、実際に行ってみた感じでは、タイやインドネシアのほうが、日本人の感覚に近いと思います。民族的な祖先は、東南アジアなんじゃないかな、なんて思ったりしてます。もちろん、律令制度や漢字などいろんな文化が、朝鮮半島を経由して中国大陸から入ったことは、ほぼ間違いないとも思っていますが、文化が来た所と祖先が来た先は違ってもおかしくないことに最近気づきました。今は欧米(特にアングロ=サクソン)の文化花盛りの時代ですが、だからといって、我々の祖先が欧米から来たとはだれも考えないでしょう。

     

    人の顔って大事だと思うんですが、顔の感じも、中国大陸や朝鮮半島というよりも、東南アジアじゃないかなあ(もっとも、僕の場合は「お前はモンゴルから来た」と言われてもしかたないとは思うけど…)。天照大神も南から海の道を通って来られたという説が有力だと言うことだし!もちろん、いろんな方面からいろんな人がたどり着いているんだと思うんだけど、多数は東南アジアからじゃないかと真剣に思ってます。

  • アジアの夜明け

    先日、マレーシアとインドネシアに行って来ました。これまでに、行った順にいいますと、中国(上海・広州・深釧・大連)、タイ、インド、台湾、そして、今回のマレーシア、インドネシアに行ったことになります。残る国は、僕の知る限りでは、韓国、シンガポール、ブルネイ、フィリピン、ベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマーなどですが、今現在行ってみとこうかと思うのは、韓国、ベトナムとオーストラリア(アジアと思うんですが…サッカーワールドカップもアジアじゃないですか)かな。

     

    約10年前に最初に上海に行った(飛行機が怖くて、それまでには国外に出たことがありませんでした)ときにも、びっくりしました。「今までの人生何をやってきたんだろう」と思いました。一言で言うと、人が生きていました。日本と言う国は、全てが整いすぎて、便利すぎて、人が家畜(生きてるのではなくて生かされてる)に見えたと言えば言いすぎでしょうが、正直な感想はそんなことでした。

     

    今回特にインドネシアに行って、またその思いがよみがえってきました。人が生きてます。熱いパッションが伝わってきます。とにかく元気なのです。これはタイのことですが、ある若者の言った言葉が、耳から離れません。彼は言いました。

    I have no money, but I have a hope!

    僕が日本人と知っての言葉なのかそうでないのか、それはわかりませんが、人の幸せという尺度からいうと、ああ負けたなと思いました。整ってないから、猥雑だから、エネルギーがあるのだと思います。そのエネルギーが希望なのだと思います。特にインドネシアは、今後数年のうちに、内側のエネルギーが噴き出してくるのではないかと思います。

     

    良くも悪くも、TPP参加で日本は第二の開国を迎えます。アジアの時代が来ました。断末魔のアメリカはそのアジアにぶら下がる作戦に出て来ました。ヨーロッパはご覧のとおりです。アジアを向いて、物を考えることが必要になります。中小企業も例外ではありません。

PAGE TOP